不意の通り雨で男と女が出会い頭にぶつかってから、地軸が歪んでしまったかのように屈折する運命。躊躇しても、戻ろうとしても、一度歪んでしまった運命の行方を変えることはできない。そんな図式を、石井隆監督が力強い脚本と映像で見せてくれる。映画化までに何度も企画が頓挫したという曰く付きの作品だそうだが、浮沈を繰り返すその過程で図らずも研磨にかけられたかのごとく、物語が研ぎすまされたのかも知れない。特に深夜、玄関の郵便受けから男の腕が伸びてきて、愛する女を求めて空(くう)をまさぐるシーンは秀逸です。歪んだ運命の隙間から行き場もなく彷徨う魂が突然飛び出したようにも見えて、凄まじい。最後に奈落の底で見せる大竹しのぶの表情も印象的です。
“名美”を演じる大竹しのぶさんよりも、彼女を争って殴り合う男ふたりに気持ちが寄り添っ てしまいます。わたしが男のせいでしょう。判官びいきかもしれませんが、当時二十代の綺麗 で締まった裸を果敢に見せる永瀬正敏さんよりも、眼鏡がいつも手放せず、急に酒にも弱くな って夜中にトイレに駆け込み、あげくの果てに妻を寝取られてしまう土屋英樹という五十代の 中年男に淡い親近感をさらに抱きます。 もちろん大竹しのぶさんと永瀬さんが性愛の坂道に身体を預けて転がるようにして墜ちて行 く、いや、どこまでも抱き合って高く高く舞い昇っていく姿も胸に迫って忘れられない。 どうしていいか分からなくなる、いつまでも魂が惹かれて抑えられなくなって相手の胸に追い すがってしまう。烈しい恋愛の渦中に陥った者にしか分からない物狂おしい波動に最初から 最後まで包まれていて、ついつい視線は捕えられ、気持ちが引き込まれます。 東雲、洲崎あたりの木工所、陽炎、白い日傘、鉄橋、運河、浮き桟橋…。 夏の陽射しに照らされながら並んでひっそりと歩いていく、男とおんな、ふたりぼっちの遠景 が凄く良いんですね。往年の上村一夫の抒情的な白く光った劇画風景が重なってくるような、 静かでしっとりした名シーンです。 それに比べて夫の英樹を演じた室田日出男さんは、“受け身”に徹して延々と耐え忍ぶんです ね。そのもどかしくさえある姿が純朴で素晴らしい。物語の中盤、若者との密会を目撃した後 で川辺に停めたランクルの中で妻を詰問するうち、夫は声を荒げて激昂して暴力を振るう寸前 となります。崩壊間際の危なっかしいところまで夫婦は追い詰められるのだけど、その時、 ぐわっと見開いた瞳から涙を溢れさせ、男泣きに泣き続ける室田日出男さんの掛けた眼鏡の レンズがいつしか曇っていくのです。涙が湯気となって白く結露していく。見ていてとても 切ないです。実際、確かにそうなりますものね。視界はぼんやりと霧がかかっていく、流れる 涙も加わって飴細工のようにぐにゃぐにゃに世界は溶けていくのに、それとは反対に心から愛 したひとの面影がやさしく眼前一杯に広がって呼吸を奪っていく。 室田さんは「忘れられない、別れられない」という言葉をやっとのことで絞り出すのですが、 その、人が人を愛してしまった時に運命付けられる“記憶の鎖”がこの物語の全篇を、いや、 石井監督の描く物語すべての根幹となって響いているように思われます。 『花と蛇』からしか石井作品を観たことがない若い映画ファン、特にいま誰かに恋をしている人に 是非観てもらいたいと思います。本当に素晴らしいいい映画だと思います。
このDVDの最大の見せ場はなんといっても、大竹しのぶさんと永瀬くんの絡みでしょう。 当時の旦那さんの明石家さんまさんが激怒したとかいうのが話題になりましたよね。 永瀬君の度重なるアタックに、遂に「閉めてきて」と囁く大竹さんの台詞がたまらないです。 「掛け布団が邪魔だよ」と叫んだのは自分だけではないでしょう。