「ニューファミリー」の崩壊を描いた、という評が多いようだが、違うのではないだろうか。藤田はそれを否定も肯定もしていない。ただ風俗として、そういう現実として描いているだけである。 この映画に出てくるのは、主人公の姉夫婦以外は、親や大人になりきれない人間か、でなければ子供ばかりである。蒸発はするわ、売春はするわ、ボンクラもいいところである。しかし、そんな彼らでも、やることはいつの時代とも変わらない。男と女は惹かれあい、ともに暮らし、人は生まれ、そして死ぬ。藤田が描きたいのはその普遍的な事実である。その厳粛、その不可解、その倦怠、そのかけがえのなさ、である。 それは日本映画の伝統的なホームドラマが描いてきたものである。一見すると、崩壊した景色のように見えても、その底には、伝統的な家族像から受け継がれてきた何かが地下水のように流れている。だから、これは、正統的ではないにせよ、歴としたホームドラマなのだ。
昭和54年 日活映画 森下愛子、奥田瑛二が主演する青春映画。 藤田敏八監督だけあって、70年代の退廃的なムードが漂うが、 80年代を目前に、この手の青春ドラマ自体が衰退していく頃の作品。 そんな制作時の時代背景もあって、やや小粒なドラマ。 奥田瑛二はこれがデビューとあって、とても初々しい。 それに加えて、森下愛子のキュートで小悪魔的な魅力で、映画の厚みを出していた。 リアルタイムで当時観たときは、切り口の鋭い青春群像と感嘆もしたが、 今となっては、ストーリー展開やセリフ回しに古さを感じた。 ただし、ラストの事故はかなり強烈。反体制的な主張が健在。
ニュー・ファミリー神話の崩壊を描いた藤田敏八監督ですが、 今やニュー・ファミリー自体、死語になった現代には合わない作品かも。 20数年ぶりに観ました。 藤田敏八監督作品では「赤ちょうちん」と並んで好きな作品です。 奥田英二、風間杜夫も私も若かった。(笑) しかも、そんなに好い役でもない2人が真剣に役作りしてます。 そこに森下愛子や高沢順子が絡んでいい映画に仕上がってます。 最後の場面のやるせなさは、当時は繋がりませんでしたが、 今、見ると印象に残るラストです。
・・など、いろいろ評される映画だけど、あまりそんなことは、関係ない。関係なく観たい作品。当時の時代背景として、高度経済成長も、ひと段落して、日本という国の経済的地盤が出来上がってしまった頃、という感じがある。それほど、遮二無二働かなくても、生きていける、なんとか、やっていける時代とでもいうのか。その分、「何かになりたい、一旗あげたい」とか、若者っぽい成功願望というのが、薄れてくる時代の到来。カメラマン希望を挫折した英二氏も、女のケツばかりを追う、さえない男。育児を放棄して逃げた女房、ロックバンドの追っかけの愛子ちゃんなど、溜息がでるほど夢のない設定である。 ・・だけど、観てしまう。「自由って何だろう」とか考えながら。嫁さんに逃げられて、今、宅配やってるんだよ、なんて奴、友達にいそうだしね。不条理なラストも、「こんなもんだよな」って悟ったりして。
相当に保守性が強い作品のように見えて、一種の道徳批判のようにも受け取れる。友達関係のようなニューファミリーというが、この映画の夫は、結局家事やらなにやら全てを妻に押し付けて、妻は家事と育児でノイローゼ寸前で家を出て行く。しかし、子どもと家庭を放棄して出て行った妻に周囲が批判的なところは、時代の空気が出ている。日活の作品だから、森下愛子の肢体を見せるのはお約束だが、彼女の演技はなかなかいける。脇役もしっかりしているし、プロットも巧妙だ。最後は、彩子と父親との近親相姦までもが示唆される。伝統的家族の象徴とも言えるすし屋の主は、病院で息を引き取る直前、息子の嫁に息子を頼むとうわごとのように言うが、それを聞き届けるのは居候の少女なのである。要は、伝統的家族と家父長制の解体がテーマの作品なのだが、このシチュエーションは現代でも十分機能するだろう。森下愛子演ずる少女は、現代の家出少女に通じる、家族の枠組みにとらわれない自由な精神の象徴である。大変よく出来た作品で、藤田敏八の作品としては「赤ちょうちん」を上回る出来になっていると思う。