レイプ告訴によって、女性は二度傷つくというテーマで、 中々にいいテーマなのだ。「それでもボクはやっていない」の 後にみたので、「それでもボクはやってない」の被害者の女の子が ついたてありで証言台に立った理由がよくわかった。 ただ、営業の都合上、田中裕子のヌードを前面に出さなければならなかったのは わかるが、それによって、田中裕子の心情の描き方が弱くなったり、 被告についての描き方が弱くなったりと、いまいち監督の主張が弱くなってしまっている。 いいかえれば、ジャーナリスト性が弱くなり、 セクシードラマ性、人間ドラマ性が強くなってしまっている。 いいテーマなのにちょっともったいない ただ、退屈せず、一気にみせるので、とりあえずみておけばいいと思います。 「それでもボクはやっていない」と対比しながら見ると楽しいと思います。
東陽一監督のこの作品は、一つの強姦事件を通して、被害者が裁判において屈辱的な扱いを受け、それは社会的強姦にも等しい現実であることを告発している。シャープな映像と構成によって、それなりの説得力を持つ作品に仕上がっている。だが、被害者の華麗ともいうべき過去は特別なものという感じがする。強姦を告発する映画を作る難しさがある。だから、映画自体には少し甘くなる。 ただ、この映画は田中裕子の魅力を十分に引き出している。それで五点の価値がある。「田中裕子が脱いだ」映画として、封切り当時は騒がれたらしいが、田中はいわゆる肉体派の女優ではない。最後の入浴シーン等もそうだが、全編を通じて魅力的なのは、田中裕子の自分の肉体に対する関係である。彼女は自分の肉体を恥ずかしがらないし、それを誇ろうともせず、ごく当たり前のように自分の支配下においている。その自然な関係が恋人とのラブシーンや昔の恋人との思い出に情感をかもし出す。 田中の持つ距離感覚は、平均的な日本人のそれよりも少し短い。他人の懐に一気に飛び込んでしまう。それは相手をかすかに当惑させる。その緊張感を救うのが、あの弾けるような微笑なのだ。この空間感覚は演じられているものではなく、田中裕子特有のものだ。それが女優としての田中の魅力を構成する大きな要素になっているし、同じような特徴を持った女優はほとんどいない。 例を挙げよう。初恋を法廷で暴かれ、上田との仲にヒビが入る時、路子は助教授を呼び出す。そこで心の憂さを晴らすように路子は踊る。この踊りのシーンは圧巻だった。田中の自分の身体に対する制御が情感の籠った踊りを可能にする。踊る前に、路子は中年の男に口説かれる。結局は振るのだが、その男の横に座る路子の姿勢には田中裕子の距離感が何気なく表現されている。 強姦された後で、上田と寝るシーンも美しい。それを可能にするのも彼女の肉体に対する支配力と特有の空間感覚なのだ。 論告の日、裁判所から出てきた路子に上田が謝る。路子は醒めた表情を壊さず、二人は別れる。残酷なまでに冷たい表情の魅力はなにか。やはり田中特有の距離感覚が、そこに人間臭さを加味し、醒めた情感を付け加えているのだろう。 田中裕子ファンは必見です!!!
「リップスティック」より後、「告発の行方」より前に作られた本作は、田中美佐子「ダイアモンドは傷つかない」と二本立てで公開された。東映は女性向け映画として宣伝したが、結局は大方の予想通り男性観客が押し掛けた。トホホ(笑)。帰宅途中、面識のあった男に追われて暴行された田中裕子。彼女は悩んだ末、恋人・風間杜夫の制止を振り切って告訴する。しかし裁判で彼女のプライバシーと人格はボロボロに攻撃され、私生活は崩れていく……。田中裕子は惜しみなく脱ぎまくっていますが、映画は「レイプされた女性は事件の後にまた社会によってレイプされる」というテーマに主眼を置いたものなので、重苦しさが先行しています。社会派の映画で真価を発揮する東陽一監督らしい、タイトルに惑わされてはいけない作品です。